「ハーバード白熱教室」サンデル教授の正義の話。「自分の命か、職務への使命か」あなたは、どう考える?

    

「ハーバード白熱教室 世界の人たちと正義の話をしよう +東北大特別授業」(マイケル・サンデル/著、早川書房/刊)

「ハーバード白熱教室 世界の人たちと正義の話をしよう +東北大特別授業」(マイケル・サンデル/著、早川書房/刊)を読了。

実は、有名な前著『これからの「正義」の話をしよう』を読みたかったのだけど、勘違いして、こっちを選んでしまった。そんなことはどうでもいいね。

この本には、中国は北京、インドのジャイプル、ブラジルサンパウロ、韓国ソウル、そして日本と5カ国での講義の様子が講師と参加者の対話形式で収録されている。それぞれの国ごとにテーマがあって、例えばインドなら、「女性に対する性的暴行は、その他の暴力より悪質か?」というもの。それが韓国なら、「徴兵制度でタレントは兵役を免除されてもよいか?」などの話題。

肯定する人、そうでない人どちらの側の主張も聞いていて「そうか、なるほど」と思わされる。

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性的暴行はその他の暴力より悪質か?

インドでは女性への性的暴行が社会問題になっている。2012年に首都ニューデリーでおきた事件を覚えているだろうか。バスの車内で1人の女子学生が集団に性的暴行を受けたうえに殺された事件である。犯人たちは逮捕されたが、警察の関心の低さに市民の怒りが爆発し、大規模なデモが発生したのだ。この講義が行われたのはちょうどその時期だった。
2012年インド集団強姦事件

インドの講義では性的暴力は悪質だという意見が多数だった。性的暴力は、肉体だけではなく精神、人間の尊厳をも傷つける行為だからだというのが、その理由だ。反論もまた興味深い。それはインド社会に蔓延する女性蔑視の表れで、性的暴行だけを特別に凶悪な犯罪だとみなすのは男性優位な考えだからだという。

女性は、か弱い存在だから、守らなくてはいけないということを言われたら、女性のなかには余計なお世話だと感じる人もいるだろう。それは女性という存在そのものを子供のように扱うことと同じで、特別視することにも繋がる。

そういったは発想は女性を貶(おとし)める行為で、女性を守るべき尊いものとして祭り上げるが、その本質は男性よりも低い地位に置いていることに他ならない。

なるほど、こういう考えもあるのかというのが感想。だけど、現実的な解決手段は何一つなく理想論にしか聞こえなくもない。いまのインドの女性の社会的な地位は相対的に男性より低く、まずやるべきは女性の地位向上なのだろう。

自分の命か、職務への使命か?

津波で大きな被害を受けた宮城県山元町。大地震の直後に高齢者へ避難の呼びかけを行っていたのが民生委員だった。彼らに報酬はなくボランティアで、その活動の支えとなっているのは使命感だけだという。

震災で亡くなった民生委員は56人という重い現実を目の当たりにして、彼らがどこまでの責務を負うべきかというのが全国的な課題となっている。震災後、民生委員はほかの人を救うよりも自分の安全を優先するよう、強く呼びかけられるようになった。1人で頑張ったところで助けられるのは1人か二人。無理に頑張った結果、民生委員も要援護者も死にましたという悲しい結末が多かったからだろう。

ここでみてとれる感情は二つあり、それぞれ相反するものだ。

その一つは「災害時には老人や子供などの弱者を1人も見捨てるべきではない」という考え。もう一つは「民生委員や消防団は自らの命を懸けてまで人の救助に向かうべきではない」というもの。

どちらを優先するかというのはとても難しい。ただ、単純に自分の命を粗末に扱うべきではない、「まずは自分の命が大事」という災害時の一般論で片付けられないからだ。それは、日本をどのようにしていくか、どのような社会を築いていくかという民主主義に関わる根源的な問題にまで繋がっていく。

韓国フェリーの沈没事故は記憶に新しい。船長以下、船員は真っ先に逃げ出し、犠牲になった多くは一般客だった。適切な避難誘導もなかったという。このような、非常時に職務を放棄するようなことがあたりまえの社会は悲しい。当時、このニュースを見て、救われない気持ちになった。

セウォル号沈没事故の遠因には、韓国社会の体質にも原因があるとされる。朝鮮日報では、韓国社会は「生き残りたければ他人を押しのけてでも前に出るべきだと暗に教えてきた」として、家庭・学校・職場を問わず、犠牲と分かち合いよりも競争と勝利が強調され、清き失敗よりも 汚い成功をモデルにしてきた結果としている。

「弱者を先に」「遅くなっても一緒に」という社会倫理や道徳は、教科書に出てくる退屈な話程度の扱いだという。また韓国では基本、規則、基礎、ルールを大切に考える人間に対し、何か世間知らずの堅物のように見下す雰囲気があり、それどころか、ずる賢い手口を駆使できる人の方が、有能な人間のように扱われるとされ、今回のセウォル号沈没事故の根底には、このような基本を無視する韓国社会の病弊があることを指摘している。
2014年韓国フェリー転覆事故

原発事故当時の福島第一原発建屋で放水活動を行った自衛隊員や最前線にいた原発作業員、彼らの犠牲のうえに、いまの平穏な日常がある。いくら職務とは言っても、誰だって行きたくはないもので、そこにあるのは使命感だけだったんじゃないかな。

彼らだけじゃない。津波が迫っていた時、最後まで避難を呼びかけて波に飲まれてしまった民生委員、消防団、役所の人たちがいた。

そういう人たちがいなかったら、真っ先に逃げていたとしたら、残された人たちは、どういう思いになっただろう。



まとめ

別に彼らのヒロイックな行為を称えるとか、そういうものじゃなく、そういう人が”大勢いた”という事実に、ぼくの心は救われたし、これからも、この国の未来に希望が持てるのだけどね。

「自分の命か、職務への使命か」どちらを優先するのが正義なのだろう。あなたは、どう考える?


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