読み捨てる漫画、そうでない漫画

    

漫画は読み捨てるもの。そう書くと批判がきそうだけど、現にそうなのだ。別に悪い意味ではなくて、一度読むとこの先どうなるのかというワクワクや目新しさはなくなってしまうのだからしょうがない。

では、すべての漫画がそうかと言われると稀に何度も読み返したい、手元に置いておきたい、そんな傑作漫画だってある。ぼくにとってはそれが、「赤色エレジー」(林静一/著、青林堂/刊)だった。

林静一の画は、おそらく誰もが目にしたことがある。たとえば、小梅ちゃんキャンディーのパッケージにあるイラストは彼の作品だ。

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次いで説明すると、「赤色エレジー」(せきしょくえれじー)は、林静一が漫画雑誌『ガロ』に連載した漫画。「ガロ」は青林堂が刊行する月刊漫画誌で、2002年まで刊行されていたけれど、いまでは休刊となってしまった。

「赤色エレジー」(林静一/著、青林堂/刊)

漫画「赤色エレジー」は分厚いがコマのなかの台詞がほとんどないから、画を眺めるように読み進めれば、10分とかからない。この場合の読後感は、んん? である。

内容はまったくわかりやすくない。少ない台詞。唐突に表れる(と感じる)架空の世界のコマ。林静一のシュルレアリスムを楽しむ作品? いやそれも違う。

この漫画には、感性に訴えかけてくる何かがあるんだ。

「赤色エレジー」(林静一/著、青林堂/刊)

読み返すことで、ようやくストーリーが掴めてくる。

売れない漫画家志望の青年、一郎(いちろう)とセル漫画のトレースを仕事にする幸子(さちこ)。男女はくっつき、そして離れていく。

舞台は昭和の時代で、東京の中井・下落合あたりの地域だ。あぁ、なるほどな。「神田川」風味で味付けした、いまとなっては時代の郷愁誘う作品だったのか。

月並みな感想を抱きながらも、二人の切ない物語(ストーリー)に没入して何度も読んだ。

「赤色エレジー」(林静一/著、青林堂/刊)

読んでいると、一郎の、幸子の、二人の淡い感情を追体験できる。随所の昭和の風俗描写が、ノスタルジーに拍車をかける。

こう書くと、懐古趣味的な何かだと思われそうだよなぁ、と記事を書く手が止まってしまった。たしかにそういう楽しみ方も一面ではあるのだろうけれど・・・。

ぼくの感性に訴えかけてくるのは何だったんだろう。

「赤色エレジー」(林静一/著、青林堂/刊)

感性とは、非言語的、無意識的、直感的なものだという。じゃあ読めばわかるでいいじゃないか、と思うかもしれない。そうだよ読めばわかるんだよ。

でも、悔しいなぁ。それを言葉にできないって。

「赤色エレジー」(林静一/著、青林堂/刊)

そういえば、この漫画、随所で画面が飛躍する。それは超現実的でいて、それでもなお違和感がない。なぜかと考えてみたら、読者は画と画の間隙(かんげき)に書き込まれた心理描写を無自覚に読んでいるから。

「赤色エレジー」(林静一/著、青林堂/刊)

作家の諏訪哲史は、こうした画面の唐突な飛躍が、漫画「赤色エレジー」に超現実的で倒錯的な詩性(ポエジー)をもたらす、と言っていた。

なるほど詩性とは、妙に納得。

要はサブカルチャー(二次的文化)にアートを見た、ということで、そんな表現、思いつきもしなかった。つくづく、文才ないねぇ。

「赤色エレジー」(林静一/著、青林堂/刊)

、、、

おまえ、うるさいよ・・・



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