「note」のなかで、なぜあなたの文章だけがほとんど読まれていないのか?

    

634545

kakujinです。過疎ってますよね?発言の中のひとです。

炎上マーケティングだの、過疎の意味を調べなおしてみたり、そもそも、そういう現象おまえの界隈だけだと事例まで持ちだしてくるあたりご苦労さまです。

自称クリエイティブが集う「note」ってぶっちゃけ過疎ってますよね?

「note」ってぶっちゃけ過疎ってますよね?に集まったコメントに対して答えてみる。

さてと、物議を醸した”ぶっちゃけぼくだけ過疎だった「note」”のタイムラインを振り返ってみて、学んだのは人間3通りいるということです。

  • 二次三次の情報だけで判断するひと
  • ある程度、投稿を読んで判断するひと
  • 本人(わたしですね)に直接聞いてくるひと

残念ながら、本人に直接コメントで聞いてくるのは想像通り、少数でした。

記事を通してぼくという人間を批判的に受け止めているから、聞いてもしようがないと思っているのでしょう。でも、実はそんなことはないんだけどね。

”過疎”という言葉ばかりがクローズアップされていますが、記事の本題は後発組に向けたコバンザメ戦略のすすめなんですよ。最後までしっかりと読んでもらえればわかると思っていましたが、伝わらなかった。

これには自分の伝える技術というものがいかに足りないかを思い知らされました。

今回の件についての補足と雑感をまとめていくことで得られた考察があったので、今度はそれをテキストベースでコラムなどを投稿する人の役に立てていきたいと思います。

スポンサーリンク



いまのあなたって自分に正直ですか?

とくに意味もない会話で和んでいるような「note」に、ぼくのようなロジックを振りかざして雰囲気を壊すような投稿は受け入れられないのはご承知のとおり。こういう場って一体感が楽しいのであって、その一体感を乱されるのを極度に嫌う傾向にありますよね。

「うんうんわかるよ」「そうだよね」「ぼくも(わたしも)そう思います」求められているのはそういう無条件に共感するユーザーで、そこには学級委員長のような仕切り役がいるものだ。ここではあまり内容なんて求められていなくて、誰が言うかが重要になってくる。これを間違っているとか指摘するつもりはなくて、誰が言うかってほんとにとても重要なのだ。

そこで、あなたが「うん、うん」と頷く側ならよく考えてみてほしい。いまのあなたって自分に正直ですか?

「note」のなかで、なぜあなたの文章だけが読まれないのか

本題に戻ろう。”あなたの文章がなぜ読まれないのか”だ。

それは、周りの空気と一体化して馴染もうとするあまりに、文字通りあなたの投稿は空気と化してまっているからだ。

いまの「note」には過去の投稿が日の目を見る機能もないから、たしかに目次を作るというのは理に適っています。そうやって過去の投稿を見てもらう工夫も良い。だけど、まずやらないといけないのは、「あなたという個性に共感してくれる人に存在を認知させること」じゃないですか?

情報に上らないモノはないに等しい

表現されない自己は、無に等しい

考えたくはなかった。人間はビールではないと思った。

しかし、効率化が進み、人モノ情報があふれ、競争が激しいところでは、人もパッと見て、選び選ばれなければならない。そして企業にいる自分も、会社から、顧客から、そのように見られ、判断され、選り分けられていく立場であるという現実を、受け入れないわけにはいかなかった。

「あなたの話はなぜ「通じない」のか」(山田ズーニー/著、ちくま文庫/刊)

当たり障りがなくて一般論に終始しているような文章は、読み終えたあと実は何も言っていないということがすぐ分かる。そうだと、いずれ読まれなくなる。当たり障りがないのはたしかに反発もないけど、それってぜんぜん面白くない。そこに、書き手の思いや意見がないからだ。

読まれる文章を書くためにできること

読まれる文章には、ある程度の考察に基づいた論理的な断定が必要です。別に軋轢を起こせと言っているわけじゃなくて、意見が分かれる文章でも、そのなかから良い反応というものはあるもので、できる限り言葉を尽くせば後味も悪くないということを伝えたい。

必要なのは、他人が興味を持つなかで、自分が本当に話したいテーマについて恐れず意見を書くということです。意見が分かれることがあっても、それが他人との差異に繋がるし、読む人の価値にもなります。

みな、時間がありません。興味を持たない人の記事は目に触れることもないでしょうね。

だからタイトルと導入部分にはこだわってください。釣り記事だと思われるようなタイトルばかりつけていると次第に人は離れていくものなので注意してください。記事本文との整合性がとても大事です。



まとめ

b002

ブログなどの雑多なネタでテキスト投稿するクリエイターに向けて記事を書きましたが、小説などのテキストが読まれるための工夫は、ないものか。

それに対するkakujinの提案は自分で自分の作品の書評を書くことです。レビューがうまい人を探して書いてもらうのも良いかもしれませんね。なにしろ潜在読者は時間がないと考えてください。パッと見の数秒で判断しますのでキャッチなコピーとイントロは最低限必要です。

さて、最後になりますが前回・前々回の記事で様々な意見がでました。結果”過疎”という言葉だけがひとり歩きしてしまった印象です。

自称クリエイティブが集う「note」ってぶっちゃけ過疎ってますよね?

「note」ってぶっちゃけ過疎ってますよね?に集まったコメントに対して答えてみる。

山田ズーニー氏の著書から引用します。

正論を拒むのは、人間の本能かもしれないと私は思うようになった。正論は強い、正論には反論できない、正論は人を支配し、傷つける。人に何か正しいことを教えようとするなら、「どういう関係性の中で言うか?」を考え抜くことだ。それは正論を言うとき、自分の目線は、必ず相手より高くなっているからだ。

「あなたの話はなぜ「通じない」のか」(山田ズーニー/著、ちくま文庫/刊)

色々と考えさせられます。伝える・発信するということに興味がある人は読む価値のある一冊。

終わってみれば内容はともかく、どの目線で話をするかということに強く意識が向くようになりました。ぼくだってイラッとするのだから、相手もそうなのだろうし…。

釣った・釣られた、ではコミュニケーションが成立しません。まったくもって不毛な議論でもなく、意味があるコミュニケーションだったとぼくは思いますけどね。


スポンサーリンク



関連記事

このページの先頭へ