いまさらだけど、森絵都作品。ベストセラー小説「カラフル」がスゴ本すぎておすすめしたい!

    

もうおまえなんかいらない

父と母、兄、そして、ぼく。

平凡な家庭に生まれて、これといって取り柄もなかったけど、物心ついたときから絵は好きだったと思う。内気で怖がりな性格はあったけど、心の許せる友達もいた。ぼくは休み時間のたびに漫画のキャラクターを書いてあげた。

当時みんな、ぼくの絵に関心を持ってくれていた。必要とされているっていいものだ。 あとから思えば身にあまるような黄金時代だった。

カラフル (文春文庫)

黄昏(たそがれ)だしたのは高学年になってから。興味関心は、ほかに移り、ぼくの絵なんて誰も求めなくなった。「もういらない」と言われるたびに「もうおまえなんかいらない」と言われている気がした。次第に、ぼくは”ぼくの価値”を見失っていった。

いつしか学校での居場所を失くし、大好きな絵を書くことだけが唯一の心の平穏になっていた。ぼくは、すべてを忘れて絵に没頭した。「すべてを忘れるために」と言ったほうが正しいかもしれない。このままじゃいけない。真剣に考えた末に、明るい絵を書くことにした。暗い海の底から、飛び立とうと進む馬。もし、この絵が完成したら、人生は変わるかもしれない。

だけど、現実は残酷で、一度逆回転を始めた歯車はそうそう元にはもどらないものだ。

真っ暗で、色のない世界

人生を再挑戦したい、やり直したい。その言葉を現実の行動に移した先は死ぬってことだ。程度の差こそあれ、誰もが一度はそんなことを考えるときがある。でも、そんなことできるわけないし本音じゃない。でも、信頼していた身近な人に裏切られていたことを知り、生きるのが辛いほどの現実を突きつけられたら?どうか他人事と思わずに想像してみてほしい。

人はそんなに強くない。自分の価値を見失っているときはなおさらで、”死ぬ”ってことをリアルに意識し始めるってそういうときだ。 おそらく、ぼくらを取り巻く世界は真っ暗でどんな色も映らなくなっている。

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生きる意味

「カラフル」(森絵都/著、文春文庫/刊)

冒頭の文章はAmazonのオールタイムベスト児童文学100から見つけてきた森絵都さんの小説「カラフル」(森絵都/著、文春文庫/刊)のあらすじだ。これほどまでに支持され、読まれているからには理由がある。

本題はさておき、ちょっと質問なんだけど、生きるって意味は何だろうね。

ぼくは、単純に”生きるってこと”その事自体は、地球の裏側でライオンがカモシカを捕食するのと同じで、そこに意味なんてないと思っている。

ライオンは腹が空いたから食べるだけだ(捕食されるカモシカはライオンにとっては意味があったかもしれないけどね)。

ある日突然、竜巻が家を壊すのも同じで、やっぱりそこに意味なんてない。

だけど、意味があるのかないのか、そんなこと考える前に現実として、ぼくらは生きている。ぼくら、人の一生を意味のあるものにするのは、自分だけでは無理で、周りの人によって支えられているのではないかと思った。

その、周りの支えがなくなったと感じたとき、人は生きる意味を見失うのかもしれない。

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本題はさておいたまま

以前のぼく。失っていたこれまでの記憶。一度は途切れたと思った周りとの関係も、また繋がっていく。そのことに気付いた瞬間から、少年の見ていた暗い、色のない世界が色鮮やかな世界に変わる。

ぼくは、カラフルを読み始めて、すぐに結末が思い浮かんでいた。あなたもそうかもしれない。だけど不思議とがっかりしないで読み進められるはずだ。

正確には、小説の世界に引きこまれ、読むことを止められないといったほうがいいか。

カラフルは、ぼくにとって純粋に本を読むことの楽しみを思い出させてくれた貴重な一冊になった。その結末の感動を、楽しみを、ぼくと同じように味わってほしいから、これから本を読む読者には、これ以上のあらすじを知らせるべきじゃないと思った。

だから、本題(あらすじ)は”さておいたまま”。

あとがき

タイトルのスゴ本という言葉はすごい本のこと。これは、よく読ませてもらっている書評サイト「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」から。

この記事なんかおすすめだ。
人の命は金になる『凶悪 ある死刑囚の告発』

なんつーか、勝てねぇなぁ。上には上がいるものだ。だけど、腐らずにやっていきたい。

死ぬまで進歩するつもりでやればいいではないか。
作に対したら一生懸命に自分のあらんかぎりの力をつくしてやればいいではないか。

とは、夏目漱石の言葉。

書評の書き方はこちらが参考になった。
文庫解説って誰がどうやって書いてるの? 書評家・杉江松恋が教えます

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「八本脚の蜘蛛」(二階堂奥歯/著、ポプラ社/刊)

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「ぼくです」「少しお話してもいいです?」「いいですよ」

何分か話して彼女は「お仕事の邪魔ですね」と言って帰っていった。

「今の誰?すっごいかわいいじゃーん」つんつん。

同僚にからかわれているところに彼女は戻ってきて、「今日いっしょに帰っていいですか?」と言った。

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僕は現実で見つからないものを本の中に探して、本のなかにも見つからないもので喉元までいっぱいになっていた。そこにいきなり、本のなかにも見つからないものが、服を着て眼の前にあらわれたのだ。

「八本脚の蝶」(二階堂奥歯/著、ポプラ社/刊)

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