グローバル社会の到来は、”バカな日本の若者”にとってのジェノサイドという未来

    

バカな日本の若者の代名詞と言えば”ゆとり世代”で間違いがないだろう。悪名高い”ゆとり世代”の社員に悩む組織は多いと思う。教育でなんとかしようと思うものの、そんなこちらの淡い幻想を打ち砕いてくるような、どうにも使えない”ゆとり社員”が現実問題として増えてきている。

彼らに仕事を任せる。彼らは「頑張ります」と言う。心配になって確認すると、まったく進んでいない。本人は「まじめに努力しています!」と言う。そして、大方の予想通り終わらない。

食い散らかした仕事は、結局誰かが掃除して片付ける。こういう負担を付け回す構図は、まるで、いまの年金問題のようだ。彼らは、たいていまじめで善良な新人社員様だから、ハネムーン期間が終わるまでは誰も表立って咎(とが)めない。こういう現状を見るにつけて「最近の若者はバカになったなぁ」とつくづく思うわけ。

”ゆとり世代”と揶揄される若者が、組織の質の低下を招いているのは否定できないだろうと思う。

いつの時代も一定数、ばかで無能な社員というのはいたものだけど、ここ最近は多すぎるのだ。”ゆとり世代”ってやっぱりバカなのか?

スポンサーリンク



努力は免罪符じゃない

彼らのような箸にも棒にもかからない、無能な社員が成長していく未来を想像できないでいる。努力は免罪符じゃない。努力は方向性が大事だし、報われないことだって多々ある。何より、会社組織では結果を出さなきゃいけない。人生若いうちは「努力は報われる」であながち間違った姿勢とも言えないけど、どこかで現実を客観視できないと人生辛くなるはずだ、とは為末さんの言葉。

努力を免罪符にする無能な”ゆとり”社員を見ると「いままで何をやってきたの?」と言いたくなるが、そこは気持ちをグッと抑えよう。健全な人は、相手を変えようとせず自分が変わるというからね。

それに、”ゆとり世代”はストレス耐性がないのだ。そのままにしておくと、自分探しの旅に出てしまわれる。いまここにいる自分以外の”本当の自分”なんて、どこにも存在しないのに。

人は積み重ねた過去があるもので、それを否定して一発逆転できるほど人生そう甘くないと思うのだ。そういう意味ではフロイトの「人間は過去に蓄積されたリビドーに突き動かされる」という主張が心地よく響く。現代心理学ではすでに過去のひとらしいけど…。

問題の本質は少子化

城繁幸さんの著書「若者を殺すのは誰か?」には面白い考察が載っていた。この主張には説得力があって、そうかなるほどと思わされる。

「若者を殺すのは誰か?」(城繁幸/著、扶桑社新書/刊)

例えば、筆者も一員である1973年生まれは約209万人いるが、1987年生まれは約134万人と、既に3割以上も減少している。全体が30%減ったということは、東大、京大、阪大に合格できる水準の学生が、それぞれ30%ずつ減っていることになる。

ただし、大学入試というのは、各世代共通の基準に基づく絶対評価ではなく相対評価である。つまり成績上位から枠いっぱいに入学させていくわけだから、東大は30%ほど、昔なら入学できていなかった学生を入学させていることになる。

問題はここからだ。仮に東大ー京大ー阪大が、この順番で偏差値順に並び、学生は自分の偏差値に応じて進学するとしよう。

京大30%の合格実力者を失ったことに加え、さらに30%を東大に持っていかれるから、実力者が60%も減ったことになる。阪大に至っては、実に90%ほどが上位に流出し、代わりに下位校から受け入れている計算になる。こうなると、ほとんど15年前とは別の大学と言っていい。

(中略)

”Fラン”と呼ばれるクラスの大学になれば、10年前なら絶対に大学になど進学していなかった層をなんとかかき集めて、辛うじて経営を成り立たせている状態だ。いわゆる”ゆとり世代”として悪名をとどろかせている若者は、恐らくこのグループだろう。

もちろん、同じ傾向は企業や官公庁にも当てはまる。10年前に比べて採用枠が同じなら、それだけ質の低い人材が紛れ込んでいるのは当然だ。

「若者を殺すのは誰か?」(城繁幸/著、扶桑社新書/刊)

勉強するしないというのは個人を取り巻く環境や本人のやる気に依るものが大きいものだし、勉強する家庭に育った子は放っておいても自己学習なり塾に通うなりで足りない部分を補うものだ。学校のカリキュラム(教育課程)だけのせいにしてはいけない。

今も昔も一定数バカがいたけど、少子化が進むと優秀な子の絶対数が減り、相対的に優秀でない子の割合が増加する。そこから見えてくるのは、”ゆとり世代”がバカなのではなくて、”ゆとり世代”のバカに出会う確率が増えたという事実だ。

言ってしまえば、これまでお互い干渉せずに済んだものを、今はそうじゃなくなってきているということで、問題の本質は少子化だったということになる。となると、この先さらに少子化が進むのは確実なのだから、これからの新人はさらにバカになるね。



グローバル社会の到来

グローバル社会の到来と聞いたら、なんだか聞こえはいいし、未来に希望がありそうだけど、ここでバカな若者は勘違いしてはいけない。

言ってみれば、これは世界の優秀な子と仕事を取り合う”平等だけど残酷な社会”だ。言い換えれば、”バカな日本の若者にとってのジェノサイド”という未来。

世の中は効率化され、産業の裾野はいま以上に細っていくだろうから結果、バカな若者の受け皿もいま以上に減ってゆく。既得権でガチガチに固められた日本で、割を食うのは若者と決まっているから、これからを考えると夢も希望もないですね。

終わりにきて、結局何が言いたいかわからなくなったから「最近の若者はバカになった」で片付けることにします。ということで”バカな若者”は本を読んで賢くなろう。

城繁幸さんの文章をもっと読みたくなってブックマークに入れていた「Joe’s Labo」表示させたら、サイトが404 Not Foundなんですよね。一時的なものなの?ご存知の方教えてください。

それまでは、とりあえずここをチェックしておこうと思う。
BLOGOS:城繁幸の記事一覧


スポンサーリンク



関連記事

このページの先頭へ