プロ・ブロガー「イケダハヤト」はなぜ嫌われるのか?

    

「イケダハヤトはなぜ嫌われるのか?」(池田勇人/著、エレファントブックス新書/刊)を読了。イケダハヤト氏の電子書籍で最新刊になりますね。

電子書籍「イケダハヤトはなぜ嫌われるのか?」を出版しました

Amazonプライム会員だとオーナーライブラリーというものを使って無料で読めますよ(月1回)。ぼくもプライム会員なのですが、残念なことにKindle端末を持っていて、なおかつプライム会員でないとだめなようです。これを機会に気になっていたKindle端末買うかな・・。

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イケダハヤトはなぜ嫌われるのか?

ははは。そんなの決まってるじゃないか。読む前から結論ありきです。

ぼくの意見はこう。過去記事に書いた。

確かに、イケダハヤト氏に代表されるようなブロガーの提案はかっこいい。過去に囚われず、知を横断的につまみ食いして、常に情報化社会の最先端を疾走している(ように見せる)さまは、いかにも自由にみえる。

自由にカッコよく生きるためのライフスタイル!独学で極めるノマドワーカー

社畜の立場のぼくからすると、仕事で疲れて帰宅してから、枝豆とビール片手にイケダハヤト氏のまじめに働くひとを小馬鹿にするブログのエントリーを見るのが楽しみなんですよ。なんだか楽そうで自由に見えるし、羨ましい、そうありたいと思う。それは素直に認めよう。

言ってしまえばイケダハヤト氏の文章はコンプレックスを煽るのがうまいのだ。それはぼくの心に引っかかる。エッジが利いた文章といえばポジティブに伝わるだろうか。

こうしてぼくらは日々、鬱憤を貯めていく。

ぼくらって誰?という前提はさておき…あるとき炎上すれすれの記事がアップされる。ここぞとばかりにアンチが反撃にでる。たいていは、名もないネットの必殺仕事人の中途半端な反論なので、ことごとく論破されて死屍累々。ははははは。敵いませんって。

世の中には不都合な真実が溢れている。そのひとつが、”イケダハヤト”に代表されるライフスタイルなのだろうと思う。こんな安易なライフスタイル(実際はそうじゃないのだろうけど)は認めたくないけど、たしかに普通の会社員から見ると成功しているよなぁと。

情報を右から左にまわして、意識高い系の信者が彼の後ろに連なるさまは、ハメルンの笛吹きに見えなくもない。彼らについていった肥やし系プロ・ブロガー志願者はどこへいくのだろう。

ここまで書いてみて気付いたことがあるのだけど、たぶんぼくが嫌いなのは、イケダハヤト氏の一部の取り巻き信者なんだと思うよ。「イケダハヤトさんのライフスタイル最高です!」と言っていたかと思えば、「人生チャラい、ネットでサクッと稼ごうよ!」みたいなことを軽いノリで言ってしまう人、いるでしょ?こういう拝金主義的なのが、謙譲の美徳を重んじるぼくには生理的に受け付けない。

実際にサクッと稼げているセミ・プロブロガーのみなさんは反論しないでくださいね。



無責任なイケダハヤト氏のスタンスは共感できる

「イケダハヤトはなぜ切らられるのか?」(池田勇人/著、エレファントブックス新書/刊)

薄い本なのでサクッと読めますということだったけど、結構おもしろいぞこれ。何度も読み返した。ブロガーに必須な屁理屈がたくさん学べるぞ。

ブログを書いていると批判に晒されることがあると思う。そんなときはこの文章を思い出すといい。

たとえばあなたが転職に成功したとします。その結果として「苦しい思いをして、今の会社に残り続けるくらいなら、さっさと転職したほうがいい」という価値観に至ります。そして、自分のブログで「苦しいなら、我慢せずに転職するのを私はおすすめします」と書きました。

すると、あなたのもとに「そんなことを言って転職に失敗する若者がでてきたらどうするんだ!社会はある程度我慢する必要がある!お前のブログを見て人生を踏み外す若者がでてきたらどうするんだ!無責任である!」

という批判がツイッターで飛んできたとしましょう。あなたはこの種の批判に、どのように向き合いますか?無責任だと言われれば無責任な気がします。かといって、自分に落ち度があるかというと、そうでもない気がします。

このようなことが、ブログを書き続けているぼくには、頻繁に起こります。こうしたとき、ぼくは「はい、その通り!ぼくは無責任です。人生に関わる決断に伴う結果は、常に読み手の責任です」と答えます。

(中略)

「イケダのブログを読んで、人生失敗した!責任をとれ!」と言われても、ぼくはその声に応えることができませんし、法的・道義的にも、その責任はない、ということです。

発信者というのは、大前提として、「無責任」なものです。「責任感を持って発信する」ことは重要ですが、実際に責任を取れるかどうかはまったく別問題です。自分の言葉がもたらす影響の責任のすべてを引き受けるなんてことは、土台無理な話なのです。そんなことを気にしていたら、そもそもブログなど書けませんし、ブログに限らず表現活動はできなくなります。

「イケダハヤトはなぜ嫌われるのか?」(池田勇人/著、エレファントブックス新書/刊)

主張を持ってブログを書いていると、批判は少なからずあるものだから、イケダハヤト氏のこの言葉は「そう、そう」と共感できますね。「発信者は、自分の発信する内容に責任を持つべきだ」という正論を振りかざしてくる人たちはたしかに存在するのです。そういう経験がないのなら、あなたのブログ記事ってどれも主張がないのかもしれない。

情報を羅列する主張のないブログだってあっていい。価値観の違いだから否定はしないけど、そこは消耗するレッドオーシャンな世界じゃないかと思うわけ。ちなみにこれ、個人ブログを前提とした話ですよ。

ぼくのブログに対するスタンスは過去記事に書いたので、少し引用します。全文はリンク先を見てください。

書き手が負う責任

記事を書くという責任については、できる限り、正確な情報をもとに記事を書き、合理的な批判には回答し、間違いがあれば認めて修正するというスタンスだと考えています。それででもだめというなら、専門家以外は記事は書けないという論理になる。

多少の毒については許容してもらいたいと思う。だってそれがなくなったら、主張がないってこと。そんなつまらない記事、一体誰が読もうというのだろう。ぼくはそんな記事書きたくないし、読みたくもない。ここにきて、最後まで読んでいるあなたも、そうでしょう?

患者は”バカ”だから医療の言いなりになれば良い!?大衆は常に間違う的なその考え、危ないですよ

読まれる文章って

当たり障りがなくて一般論に終始しているような文章は、読み終えたあと実は何も言っていないということがすぐ分かる。そうだと、いずれ読まれなくなる。当たり障りがないのはたしかに反発もないけど、それってぜんぜん面白くない。そこに、書き手の思いや意見がないからだ。

読まれる文章には、ある程度の考察に基づいた論理的な断定が必要です。別に軋轢を起こせと言っているわけじゃなくて、意見が分かれる文章でも、そのなかから良い反応というものはあるもので、できる限り言葉を尽くせば後味も悪くないということを伝えたい。

必要なのは、他人が興味を持つなかで、自分が本当に話したいテーマについて恐れず意見を書くということです。意見が分かれることがあっても、それが他人との差異に繋がるし、読む人の価値にもなります。

みな、時間がありません。興味を持たない人の記事は目に触れることもないでしょうね。だからタイトルと導入部分にはこだわってください。釣り記事だと思われるようなタイトルばかりつけていると次第に人は離れていくものなので注意してください。記事本文との整合性がとても大事です。

「note」のなかで、なぜあなたの文章だけがほとんど読まれていないのか?

書き手が文章に誠意を尽くせば、後味(あとあじ)は悪くないと思うのだけど、どうですか?イケダさん。

とまぁ、そんなこと言ったって届くわけがないし、「そうですね、改めますよ」みたいな返信も望んでいない。棘の抜けたサボテンのような彼を誰も見たくはないはずで、ぼくが彼の文章に望むのは青臭いと揶揄されようと、ぼくの心に引っかかるエッジの利いた文章だ。

「年収150万で僕らは自由に生きていく」(イケダハヤト/著、星海社新書/刊)のような無難な内容よりよっぽど毒があってイケダハヤト論が詰まっているこっち「イケダハヤトはなぜ嫌われるのか?」(池田勇人/著、エレファントブックス新書/刊)のほうが断然おもしろい。

ぼく自身、以前コメントで指摘されたようにアンチかと思われるかもしれませんが、紛れも無いファンですよ。イケダハヤト氏の著作はほぼ、すべて揃えていますから。

ではなんで、こんな文章を書くかというと、読み手は主張のない、手放しで賞賛するレビューなんて読みたくないし面白くないと思うのです。イケダハヤト氏は個人攻撃をしないと仰っていますし、ぼくもそれについて同感です。これが有名人への個人攻撃に繋がるのか判断分かれるかと思いますが(と僕は思っている)、そもそも、生理的に受け付けない相手はスルーするだけだ。ブロガーって相手にされないのが一番ダメージ喰らうと思うのですよ。

そういう意味では彼は愛されていると思う、僕に。ははは。気持ち悪い?

ぼくの中ではネット界のご当地キャラのような存在で、彼が活動をやめてしまったときの喪失感は大きいと思う。ブラウザを開けばとりあえず表示されるのが「まだ東京で消耗してるの?」というイライラを誘うタイトル。同じようなことを感じる人は意外と多いのではないか。”キャラクタービジネスである”という某所での指摘も、あながち間違った主張ではないのかもと思う次第。


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