患者は”バカ”だから医療の言いなりになれば良い!?大衆は常に間違う的なその考え、危ないですよ

    

先日「美味しんぼ鼻血描写騒動」の記事を更新したけど、その内容について、コメントをいただいた。誤解を避けるためにも、ぼくの主張を整理しておこうと思う。記事はこちら。

美味しんぼ鼻血描写騒動にみる被曝アレルギーな日本人の存在

以下、コメントを引用。

ブログ読ませていただきました。
確かにCTスキャンによる被曝のリスクは高いです。タバコ云々など、例を挙げれば一般の人はそのリスクに恐怖感を覚えるでしょう。
しかし、「少し頭が痛い」=「軽傷」と簡単に判断するリスクを考えたことがあなたにはありますか?
被曝するリスクを考えてスキャンしなかった結果、脳梗塞、脳出血、その他の臓器のガンも隠れていたとしたら、あなただったらどう責任をとりますか?糖尿病患者は痛みに鈍感になっていることが多く、脳卒中にも気付かないことすらあります。半身麻痺や脳死、最悪死亡する危険性もあります。医療とは常にそういうリスクと隣り合わせです。
本人が「被曝するリスクが怖いから検査を拒否する」と言ったとします。本人の希望通りにした結果、大きな病気が隠れていることに気付かず死亡したとしたら、果たして家族は納得するでしょうか?
こういう記事を読んでなのか分かりませんが、レントゲン一枚撮ることを拒否する方もいます。その向こうで、医療者は常に訴訟と隣り合わせというのが現実です。
言論の自由は憲法で保障されていますが、だからといってイタズラに医療知識のない人におかしな情報を与えることが正しいことでしょうか?あなたの記事を見ることであなたに何らかの広告収入があるかはわかりませんが、私はあなたの記事に悪意を感じています。
記事を書くことは責任を負うということだと私は思います。
長文失礼しました。

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photo credit: Finizio via photopin cc

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まず、前提として記事の主題は、美味しんぼ鼻血描写に対する福島県への抗議文「農産物を食べない、旅行はキャンセル」といった過剰に被曝を恐れる日本人についての記事だ。そのテーマを支える根拠としてCTスキャン等の身近な医療被曝の例を挙げている。要は”もっと身近に気にすべき被曝のリスクは転がっているのに、福島の話題にだけ敏感なのは、違和感を感じる”ということですね。

該当記事を、”まとめ”まで読み進めてみてほしい。テーマに対する一応の回答をだしている。

それは、

今の日本には正しい知識とそれをもとにした安全基準というものが必要だから、いま話し合うべきは、放射能の障害がでる閾値(いきち:反応その他の現象を起こさせるために必要な最小エネルギーの値)、人が許容できる限界被曝量に関する議論だという大前氏の主張が、ぼくには馴染んだ。

ということだ。つまり、CTスキャンを撮る撮らないの話ではない。でも、記事を書く責任云々を言われているので最後まで書いてみようと思う。

で、ここからが本題

こういう被曝リスクって結局、確率の問題に集束していくわけです。だから、未来なんてわからないという前提を受け入れないといけない。ヘビースモーカーでも長生きしている人はいるし、タバコを吸わなくても肺がんになる人はいる。

リスクと、どう向き合うかが大事なのだ。できることは、可能な限り知識を得て、判断する下地づくりを個々人で持つべきというのがぼくの主張。

”イタズラに医療知識がない人に、おかしな情報を与える”というのは、とても上から目線でいただけない。

コメントを見て感じ取れたのは医療関係者にありがちな正義を振りかざしたという印象。患者は”ばか”だから医療の言いなりになれば良いのですかね。

そうなら、セカンドオピニオンという言葉はいらないということになる。

ぼくが患者の立場なら、そういう上から目線の医者にはかかわりたくない。そのレントゲン一枚がどうしても必要であるなら、丁寧に説明すべきでしょう。その上で撮らないというなら、リスクもしっかりと伝える。それが医療に従事する人の義務じゃないですか?と逆に言いたい。

CTスキャンだって別に悪いと言っているわけじゃない。リスクとのバランスです。必要なら撮るべきですよ。

事故の状況、訴え、転倒して吐き気があるとか、麻痺がある、受け答えが少しおかしい、表情、そういう細かな所見で判断するものだと思ってます。

少し頭が痛い=軽傷という判断だって、その時々の状況によっても違います。例えば、日常生活で少し頭を打った。ぼくだって頭を打つことあります。「痛いなぁ」と思う、でもこの場合、病院には行きません。もちろんCTなんて撮りません。というか、撮ろうという想像すらしない。

そこにあるのは、自分の判断です。自分で判断できないひとが、救急車をタクシー代わりに呼んだり、ちょっとしたことですぐに病院に駆け込む。医者も問題を恐れて、とりあえずCTを撮る。もう、やめませんか?と思うのです。

なんでもとりあえず医者。医者が言っているから正しい。これはこれで姿勢としては、あながち間違いとも言えないですけどね。思考停止している人にはいいんじゃないでしょうか。でも、それでいいんですかね?という話。

今回のご指摘には、「放射線被曝というデメリットがあるけれど、それ以上に早期発見というメリットの方が大きいということで、多少の害があっても無視すべき」という主張が、みてとれる。でもこれって、何事もなかったら、「よかったですね、多少の害?そんなの知りませんよ」と言っているのに等しい。

急性期で、医者が必要と判断するならCTスキャン等、必要な医療を行うべきです。でも、そこで拒否する患者が医療の現場で一定数いる。聞きかじった知識で素人判断するから医療関係者としては困っているということ。その困るという背景には、増加してきている医療における訴訟問題がある。

この場合、本人が拒否したとしても、そこにインフォームド・コンセントがあって、完全に紙面で合意しているなら問題ないと思うのだけど、実際どうなんですか?詳しいひとがいたら、逆に教えて欲しいですね。

対して、急性期以外の定期健診等でのCTスキャンやレントゲン、での医療被曝についてはどうだろう。有名な話で、チェコスロバキアで行われた肺がん検診の追跡調査の事例がわかりやすいと思う。

レントゲンでの検診を定期的に受けていたグループは、受けなかったグループより肺がんの死亡率が多く、それ以外の病気による死亡率も明らかに多いという結論が出ているそうですが・・・。

「検診で寿命は延びない」(岡田正彦/著、PHP新書/刊)

※いちおう書評ブログなので、知識はすべて書籍から手に入れている。

そして、美味しんぼ鼻血描写問題については、

風評被害と押さえつけることで自由な議論の場が失われることはあってはならないけど、大人気のグルメ漫画で、こういう問題を扱うことの影響力というものがどんなものか、想像力が欠如していたと思うのだけどね。

と書いた。これがぼくの主張、意見だ。



最後に

たしかに、たくさんの方に記事を見てもらうことで広告収入が発生しますが、それが悪い印象、たとえば炎上マーケティングのような結果で得た訪問者なんて、誰も広告なんてクリックしません。書評ブログなので、記事に共感し、本に多少なりとも興味を持って、実際にAmazonから本を購入していただかないことには収入ゼロなのです。

記事を書くという責任については、できる限り、正確な情報をもとに記事を書き、合理的な批判には回答し、間違いがあれば認めて修正するというスタンスだと考えています。それででもだめというなら、専門家以外は記事は書けないという論理になる。

多少の毒については許容してもらいたいと思う。だってそれがなくなったら、主張がないってこと。そんなつまらない記事、一体誰が読もうというのだろう。ぼくはそんな記事書きたくないし、読みたくもない。ここにきて、最後まで読んでいるあなたも、そうでしょう?

あるとき、誰にも読まれないブログってネットのゴミだという書き込みを見つけたのだけど、今になって思う。たしかにそうだな。


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