ドグラ・マグラの著者、夢野久作による短篇「瓶詰めの地獄」

    

「瓶詰めの地獄」(夢野久作/著、角川文庫/刊)

「瓶詰めの地獄」(夢野久作/著、角川文庫/刊)はドグラ・マグラの著者、夢野久作による短篇集で「死後の恋」など六編が収録されている。今回はそのなかの表題作「瓶詰めの地獄」について。

「瓶詰めの地獄」は瓶に封入されていた紙片を介してストーリーが進んでいく。この瓶に封入された紙片というのは、いわゆるメッセージ・イン・ア・ボトル(ボトルメール)のことである。

メッセージ・イン・ア・ボトル(ボトルメール)とは、手紙をいれた瓶を海や川に流すことだ。いつか誰かの手元に届くことを願い、壮大な海のロマンに思いを馳せて海に流すアレ。

小説「瓶詰の地獄」に登場するのは、二人の無垢で幼い兄妹である。海難事故で、孤島に漂着した彼らが持ち合わせていたのは1本のエンピツと、ナイフと、一冊のノートブックと、1個のムシメガネと、水を入れた3本のビール瓶と、小さな新約聖書が一冊と・・・。

隔絶された世界で互いに惹かれ合い、兄妹であるがゆえに倫理と本能の狭間で苦悩する。それは底無し沼のごとき救いようのなさ。

それはあたかも聖書「創世記」で禁断の果実に手を出し、死の定めと苦役を負わされるアダムとイブの物語。彼らが海に流した3つの瓶には地獄が詰められていた。

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独断と偏見で申し訳ないのだけど、夢野久作「瓶詰めの地獄」の魅力は何か? というとそれは、”背徳の美”の描写が凄まじく巧(うま)いことだと思う。

たとえば学生の頃の組体操の練習で、四つん這いになっている女子の太腿(ふともも)に目を遣(や)り、夕日に照らされたその黄金色の肌にグラウンドのラインを引く石灰がうっすらとまとわりついていて、その振り払う仕草に思わず見とれてしまった経験があるでしょう? 幼なじみとじゃれあっていてふと、服の下の膨らみに気付いてしまったときに感じたバツの悪さだって、そう。

「瓶詰めの地獄」を読んでいると、そういう心象風景と重なり、目の前に鮮やかにその光景が浮かび上がってくるのである。

それは何時からとも、わかりませんが、月日の経つにつれて、アヤ子の肉体が、奇蹟のように美しく麗沢(つややか)に育って行くのが、アリアリと私の眼に見えて来ました。ある時は花の精のようにまぶしく、またある時は悪魔のように悩ましく‥‥‥

(中略)

私は二足、三足うしろへ、よろめきました。荒浪に取り巻かれた紫色の大磐(おおいわ)の上に、夕日を受けて血のように輝いている処女の背中の神々しさ‥‥‥。ズンズンと潮が高まって来て、膝の下の海藻を洗い漂わしているのも気づかずに、黄金色の滝浪を浴びながら一心に祈っている、その姿の崇高さ‥‥‥まぶしさ‥‥‥。

人は手にすることができないもの、手にすべきではないものにこそ引かれ、欲望の対象にする。女性からすると「えっマジ、キモい」と思うかもしれないが、普段あなたのとなりにいる男(彼氏や夫)だって心の底では一緒のことを考えている。



ぼくは、男性のあなたがこういう描写に対してどう感じたのかに興味がある。ただ、同じ男性ですから・・・言わなくてもわかります。よくわかっているのです。フツウの感情で居られなかった、そうでしょう? 「そう、そう。女子の○○って、いいよね~」と共感したのでしょう?

自分がフツウではないのかもしれないと悩む気持ちもわかります。でもタブーに触れているような、どこか後ろめたい感情が”対象”の美をあり得ぬほどに際立たせているのだから、あなたがフツウで居られないのは仕方のないことなのです。安心してください。

ちなみにぼくはフツウです。


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