なにを書くか。どう、書くか。悩めるあなたに、ブログの”コツ”教えます。

    

「ブログのちから」はT.Murakamiさんが更新するサイトで、立ち上げから4カ月が経とうとしていますが、ブログの方向性について悩んでいるのだそうです。ツイッターで少し話すこともあったからか、なぜか他人事には感じられなかったのです。

ブログのちから
ブログ開設から4ヶ月目まで後6日。そろそろブログの柱を定めておきたい。

自分のことについても振り返る機会をいただけた記事で、恩返しする意味でも、ちょっと時間をかけて、いい文章で返すべきだなと思いました。とは言うものの、何から書こうか悩みます。どうか、この記事が届きますように。

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ブログの柱は「人」

一般の感覚から言えば、たかだか個人のブログで、悩むことなんてことはないはずで、好きなことを思いつくままに表現すればよいと思います。ぼくだってそんなに変わらない立場です。みんな、よくやっているなぁ、と逆に感心することしきり。

ぼくなりの経験から言うと、ブログの柱なんてものは潜在意識があるとすれば、それがおおまかに道筋をつけてくれているのだから、思うように興味関心のまま、書き続ければいい。

強いていえば、柱となるのは”人”でしょうか。松尾茂起さんが書いている「沈黙のWebマーケティング」にはこう書かれています。

たとえば、誤字脱字だらけで、文章も読みづらいのにも関わらず、なぜか記事を読みたくなるブロガーっているよな。

なぜ読みたくなるか?
その答えは簡単だ。読み手が、そのブロガーの感情にひきつけられているからだ。

人は、理路整然と書かれた文章よりも、感情的な文章の方に魅力を感じる。
それがコンテンツの真理だと思う。

沈黙のWebマーケティング

沈黙のWebマーケティング第8話
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「読み手が、ブロガーの感情にひきつけられている」のくだりに、思わず「そう、そう」と思って何度も読み返してしまった記事。書き手の個性を強く打ち出すというのは、ひとつの答えなのだと思います。

ブログ運営のスタンスについては、冒頭で述べたとおりです。自分の興味関心の外で書くべきではないし、興味関心を狭い枠にはめ込むべきでもない。要は、自分の興味関心の赴くままに、自由に書けばいいということ、それだけです。ここから先は、以下の2つについてです。

1、なにを書くか
2、どう、書くか

この二つから、”興味関心のまま書き続ける大切さ”を全力でお伝えしたいと思います。

さて、いまでは些細な問題にも思えるようになったブログの方向性の悩み。そういえば、ぼくも感じていたなと、懐かしい気持ちでいっぱいです。

どうにもならない不安定、今日明日にも、誰からも見向きもされなくなるかもしれない孤独に対する不安、同期と比べたときの無力感、そして生まれる焦燥感。

ぼくには、才能っていう錘(おも)りが足りないんだ。小説家、北杜夫の言葉を思い出し、よくそんなことを考えていました。

その頃は、といってもつい最近のことなのだけど、これからの人生に悩むこともたくさんあって、見返すと笑っちゃうくらいにネガティブなことを書き綴っている。

一昨日のことなんだけど、嫁に「いまの会社を辞めて別の仕事で食べていく」と告げました

30代転職活動で、ある人材派遣会社キャリアコンサルの対応に心折れそうになった話

雨の降る日曜は人生について考えよう

なにを書くか

最初は一般的なアドバイス(テクニック的なもの)から書き始めようと思いました。下書きはそうでした。でも、そんなものって別にぼくが書かなくったってネットを探せばいくらでも見つかります。たぶんもう、お腹いっぱいでしょう?

ブログのテーマを決める。もっともです。アフィリエイトのための専門ブログなら、それもいい。だけども、もっと根っこの部分に目をやるという手もある。それは自分の興味関心にしっかりと向き合うということ。

何を書くか(何について書くか)?と考えたとき、”興味(関心)を持つ力”が弱いと、なぜだかうまく書けない。書いてもどこか他人事で、裸のマネキンのような無機質な文章なのです。

作文能力が高ければ、記事の体裁だけは整います。これは、マネキンに服を着せるようなものなのかもしれません。違和感を感じつつも、これはこれでよいと目を瞑(つむ)ってしまいます。こうして、いつか本当に興味関心は尽き、世界は閉ざされていくのだと思います。

ブログは自分の意思を表すあなただけの表現の場なのだから、何を書くか?のまえに、何を書きたいのか?です。そのためにも自分自身の根っこの思いに、問うてみるのは良いことだ、そう思います。

残念なことに、齢を重ねるごと、世界(興味関心の幅)は否応なく狭まっていくもののようです。それに、抗(あらが)うように、ぼくは本を読んでいますが、それを続けるのに、あとどれくらいの時間が残されているのでしょうか。そのことを考えると、少し悲しくなります。

作家、東浩紀さんは著書の「弱いつながり-検索ワードを探す旅」で、世界を拡げるための、”旅”をおすすめしていました。あぁ、なるほどなぁ、と思います。ぼくが、先日お会いしたある方も、世界20カ国を旅したそうです。ふつう、それを聞いて「そうだ、旅いこう」とはなりません。こればかりは簡単にはいきませんが、いずれ、そうありたいと思います。

文章を上達させたいなら、言葉を知り、表現すること。続けること。

東浩紀さんについての過去記事です。よければぜひ。



構成を決めてから書くか

湖沼

作家、三島由紀夫は、文章を書くとき、最後の結びに何を書くかを決めるほど緻密な梗概(こうがい:あらすじ)を作っていたといいます。対してノンフィクションライターの野村進は、それをしないのです。

理由を知ると腑に落ちる部分もあると思うので、記憶をたどって引用しますと、それは、文章というものは、流れる水のようであるべきだということなのです。たとえば緻密な梗概は、自然に流れるまま、流れる水を、水路に無理やり引き込んでしまうような窮屈さがある。流れる水を意識して文章を書くということは、途中で話の流れが別の方向に行ったら、方針転換を躊躇しない、という意味なのですね。

たしかにそうで、ぼくが記事を書きはじめるとき、漠然とした順序や構成はあるものの、出来上がってみたら当初の想定とまったく違う記事になっていたなんてことがよくあるのです(この記事もそうだ)。

これは、記事のテーマがごっそり変わってしまう、というわけではありません。こころの奥底の潜在意識といいますか、こういうことについて書こうという、たぶん無意識に歩く道筋のことなのですが、そういうものは変わっていないのですね。

変わるのは(変えるのは)表層の、あくまで意識できる部分のみなのです。それは、細部に大胆に手を加え、厚みを加えるという作業で、記事を書く(構成する)うえでとても大事なことです。ただ、潜在意識の奥底にあるものにも、ときには目を向けようと努力することは良いことだと思います。

ぼくは、なるほどと、野村の姿勢に共感しているのだけど、どちらが正しいということではありません。道筋は意識しなくとも、あらかじめ決まっていて、それに逆らわずに興味関心のまま素直に流れていったほうがふくらみのある作品ができることもあるってことで、終わりになりますが、そういうことをここで伝えられればと思います。

あとがき

夕暮れ、青い空、土手

ぼくがブログを書き始めて、かれこれ10年が経とうとしています。文章の書き方に苦心するようになったのは「kakujin」を始めた、ここ最近だと思いますが、記憶が曖昧です。文章で他人に何かを伝えようと悩み、曲がりなりにも思いが届き、望む結果がでる。これほどうれしいことはなくて、言い換えれば、それは表現を通して得た自由な気持ちなんです。

そんな自由を知ってからというもの、ささやかな願いは”書く”ということを仕事にすること、それで飯を食っていくことになりました。これが、実現するかどうかは、先のことだからわかりません。思えば遠回りをしてしまったな。

たとえ、実現できなくとも、ブログがあれば、ぼくのようなアマチュアでも表現して、多くの人に思いを届けることができる。これって、すごいこと!ですよね。

学歴のないぼくにとって、”もの書き”の仕事なんて夢のまた夢で・・・それでも、あるいはひょっとして?そういう希望のある日々が、いまは楽しい。これからも、あきらめずに書き続けようと思います。

ところで、プロとアマチュアのもの書きの”差”はなんだろうと考えたとき、わからなくなります。プロの文章がおもしろいかといわれると、必ずしもそうでないことだってあるからですね。

ネットにはそれこそ星の数ほどの文章があって、プロ顔負けのアマチュアがいます。ネタが尽き、すぐに書くことをやめてしまうのはたいていアマチュアで、プロは苦心しながらも、世界を拡げて書き続けているように思います。

プロとアマを同じ物差しで比べたときの”差”って案外そんなところにあるのかもしれない。そう考えると、プロのもの書きって、興味関心を絶やさないでいられる人のこと、なのかもしれません。

-関連リンク-

文章を上達させたいなら、言葉を知り、表現すること。続けること。

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