Amazonのベストセラー、話題のアドラー心理学入門書「嫌われる勇気」を読んでみた。

    

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哲学って、何を学ぶ学問なのかまったく想像がつかない。凡人の発想とは違う何か高尚なものというイメージなんだけど、とっつき難い印象のおかげで避けられてきたジャンルではないですかね。

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哲学って本来の意味は”知を愛する”ということだ。知らないことを知ろうとする過程が大事で、最終的に結論がでるかは問題ではないという立場のもやっとした学問だ。

「嫌われる勇気」(岸見一郎、古賀史健/著、ダイヤモンド社/刊)は、アルフレッド・アドラーの思想(心理学)をまとめた一冊。あなたの人生観を良い意味で変えるきっかけになる本かもしれない。

京セラ創業者の稲盛和夫さんが著書「人を生かす」(稲盛和夫/著、日経ビジネス人文庫/刊)の中で「人格を高め、人柄をよくするために」言っていることがある。

要は先人の経験に基づく人生観や世界観を学んで自分の哲学にする、ということなのだけど、ぼくには”哲学書を読め”というふうに解釈できた。これって、別にあながち間違った姿勢ではないと思うけど。

人を生かす:悩めるリーダーが今読むべき本!読んでみたら思いのほかハマったのでおすすめしたい。

稲盛和夫さんの著書についても記事です。よろしければぜひ!

誰もいない世界

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悩みって何だろう。考えてみてください。孤独に悩む、仕事に悩む、将来に悩む。それくらい?もっとあるね。

悩みを消し去る簡単な方法があって、それは「物心つくまえから、宇宙のなかにただひとりで生きること」だと言う。

すべての悩みは「対人関係の悩み」だから、相手がいなければ悩みすらでてこないという論理。

例えば”孤独”という悩みに対して、アドラー心理学ではこう見解を出している。

孤独を感じるのは、あなたがひとりだからではありません。あなたを取り巻く他者、社会、共同体があり、そこから疎外されていると実感するからこそ、孤独なのです。われわれは孤独を感じるのにも他者を必要とします。すなわち人は社会的な文脈においてのみ「個人」になるのです。

(ほんとうにひとりなら)おそらく孤独という概念すら出てこないでしょう。(中略)ですが、そんなことはありえません。たとえ無人島に暮らしていたとしても、遠い海の向こうにいる「誰か」を考える。ひとりきりの夜であっても、誰かの寝息に耳を澄ます。どこかに誰かがいる限り、孤独は襲ってくるはずです。

そんな誰もいない世界なんてありえません。

アドラーもそう言っている。

だから、悩みは尽きないのだね。

AだからBできないの論理

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人は誰しも無力な状態から抜け出したいと願う、普遍的な欲求を持っています。アドラーはこのことを「優越性の追求」と呼びました。この欲求は「向上心」と言い換えることができます。だけど、世の中そんなに甘くなくて、うまくいかないことだってありますよね。そんな自分に対して抱く思いが劣等感。

でも、それががんばる口実になるのなら、さして問題ではなく、むしろ望ましい状態なのだけど、そうでない場合、つまり言い訳に使いはじめるとそれは劣等コンプレックスということになる。

ぼくの場合、劣等コンプレックスを抱いていたのは結婚のとき。底辺会社員で満足な給料もなく、相手を養っていけるか全くもって自信がなかったんですよ。そのことが、結婚に踏み切れない、まっとうな理由だったはずなんだけど、これだって、冷静に考えるとお金がないから結婚できないという論理を振りかざして納得していただけで、お金がないことと結婚できないこと、そこになんの因果関係もなかった。

単純に、一歩前に踏み出すことが怖い。また、現実的な努力をしたくない。いま享受している楽しみ-たとえば遊びや趣味の時間-を犠牲にしてまで、変わりたくない。つまりライフスタイルを変える”勇気”を持ちあわせていない。多少の不満や不自由があったとしても、いまのままでいたほうが楽なのです。

いま思うと、お金がないことで「結婚できない」のではなくて、お金がないを理由に「結婚したくない」というだけだったのだ。

ぼくには勇気がなかった。

自由とは?

自由って何だろう。

ブロガー目線で、ぼくなりに浮かんできた答えはノマドワーカーという結論。好きなことを仕事にし、しかもそれで生活できる。つまり会社に頼らず働けることが自由だと思ったのだ。あら、思ったよりベタな答えしかでなかったね。

でもこれってどうなんだろう。会社組織からは自由になったけど、本当の自由ってこういうものなのだろうか。そもそもお金が有り余っていたら働く必要だってないのだし・・・。

結局、自由って何だろうね。わからなくなってきた。

アドラー心理学では「すべての悩みは、対人関係の悩みである」と言っています。対人関係から解放されるには、誰もいない世界で暮らすしかないのだけど、誰もいない世界なんてありえない。結局、苦しくても向き合っていくしかない。

この本では「自由とは、他者から嫌われることである」と言っていた。つまり自由を行使するには相応のコストを払う必要があって、それは他者から嫌われることもあるということを受け入れることなのだと言う。

他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わない限り自分の生き方を貫くことはできない。つまり自由になれない。

あなたが誰かに嫌われているということ。それはあなたが自由を行使し、自由に生きている証であり、自らの方針に従って生きていることのしるしなのです。

言ってることわかるのだけど、なんだか腑に落ちない。あたまの中で説明できない事例が浮かんできてしまうんだよなぁ・・。

古代ギリシャの路上で、ソクラテスも若者に徹底的に反駁(はんばく)されたというし、そういうものなのかもしれませんね。



まとめ

ちょっとわかりにくい、アドラーの目的論とフロイト的な原因論を”引きこもり”を例にして説明します。

「不安だから外に出られない」というのは原因論。不安という原因があって、結果外に出られない(引きこもり)状態になっている。

対して目的論はこうなる。

「外に出たくない(という目的がある)から、不安という心理を作り出している」

アドラー心理学は目的論にもとづいているけど、やっぱり馴染みがあるのはフロイト的な原因論。過去があるから現在がある、現在の結果は過去の自分の積み重ね、ってロジックは説得力ありますもん。

アドラーが否定するのはこの原因論で、人生って連続する刹那(短い時間)だから「いま、ここ」を懸命に生きれば良いと言っている。過去のできごとなんていまのあなたに関係ないし、未来がどうあるかなんて「いま、ここ」で考えることじゃないというのが理由。とにかく今を一生懸命生きろ、と。

お、おぅ。

思わず唸ってしまいます。未来の働き方を考える”ちきりん”さんに明日から方針転換を迫るような主張。なるほど、そういう考えもあるね。

刺さったのはここかなぁ。引用しますね。

たとえば戦禍や天災のように、われわれの住む世界には、理不尽な出来事が隣り合わせで存在しています。戦禍に巻き込まれて命を落とした子どもたちを前に「人生の意味」など語れるはずもありませなん。

(中略)では仮に、大きな天災に見舞われたとき、原因論的に「どうしてこんなことになったのか?」と過去を振り返ることに、どれだけの意味があるでしょうか。われわれは困難にみまわれたときこそ前を見て、「これからなにができるのか?」を考えるべきなのです。

(中略)そこでアドラーは「一般的な人生の意味はない」と語ったあと、こう続けています。「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ」と。

ご察しのとおり、この本は古代ギリシャのソクラテスが路上で青年と対話していたように、哲人と究極にひねくれた青年との対話形式で書かれている。これには、馴染む人と、そうでない人がいるだろう。ちなみにぼくは後者。

青年「ひゅう!いいですね」

青年「へっへへ」

青年「ふっふふっ、嫌らしい御方だ。いまのは、わたしへのあてこすりですね?」

対話形式が、というより斜め上いく表現の連発が内容に集中させること邪魔するんですよねぇ。内容はいたって真面目で、もしドラのような初心者向けの読みやすもあるということを考慮すればアドラー心理学の入門書として価値があると思います。


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