いかに知らないか、を知る。「世界を変えた100日」は思考のための一冊

    

いかに知らないか、を知る。よく思い返してみるとわかるのだけど、人はいきなり考え始めることなんてないんだよね。知らないということに驚き、もっと知りたいと思う。そういう驚きの過程があって、人はようやく考えるようになるんだ。

この過程をすっ飛ばして、物事を考えるというわけにはいかないし、できるはずもない。そうでしょう?

「世界を変えた100日 写真がとらえた歴史の瞬間」(日経 ナショナルジオグラフィック社/刊)は思考のための一冊。そこにはあなたの知らない瞬間々々がカメラを通して切り取られている。

これはいわゆる報道写真集。眺めていてつくづく思うのだけど、写真の持つ力は強い。ときに言葉で語るより、説得力がある。たしかに政治的なイデオロギーやプロパガンダ(特定の思想による政治活動)もあることにはあるだろう。でも、いったんすべてを飲み込んだ上で、個々人で消化すればいい。事実も、味噌もクソもひっくるめて知ることだ。そうして考える。しっかり考える。

前回の更新、世界は明日変わるかもしれない。そう思わせる報道写真16選!!から、1ヶ月以上も経ってしまった。それでは一緒に後半へ。

近現代を早足で見ていこう。

※ここでは、全ては紹介しきれないので、興味がある方はぜひ本書を手に取ってみてください。

世界を変えた100日 写真がとらえた歴史の瞬間

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1944年6月6日 ノルマンディー上陸作戦

「諸君は十字軍に参加するのだ・・・・・・世界の目は諸君に注がれている。自由を愛する世界中の人びとの希望とともに諸君は前進する」

時の米国大統領、アイゼンハワーはこのように演説する。

ノルマンディー上陸作戦 「世界を変えた100日 写真がとらえた歴史の瞬間」(日経 ナショナルジオグラフィック社/刊)

ノルマンディー上陸作戦の象徴的な写真がこの一枚。場所は夜明けのオマハ海岸だ。上陸するのは連合軍で、拠点防衛するのはドイツ軍である。映画「プライベートライアン」の題材にもなった。

この日は終日、殺戮と混乱が続いた。

1945年4月11日 ホロコーストの終焉

ポーランドにある、アウシュビッツ、マイダネク、ソビボルなど、ナチス帝国内の強制収容所は悪名高い。これらは目新しいものではないのに、なぜナチスの収容所だけがこれほどまでに悪名高いのか。それは効率性とサディズムの組み合わせによって運営されていたからだという。

ナチスホロコースト 強制収容所の写真 「世界を変えた100日 写真がとらえた歴史の瞬間」(日経 ナショナルジオグラフィック社/刊)

戦争が進むにつれて、ここは死と実験の場所となり、最終的にはナチス帝国内のユダヤ人抹殺(ホロコースト)の舞台となる。このことについて書かれた本は「アンネ・フランク」の日記が有名だけど、ビクトール・フランクルのルポ、「夜と霧」にも詳しい。

最高の読書 「夜と霧」

こうして、ユダヤは受難の民となった。受難の民は度を越して攻撃的になることがあるというが、それは二十一世紀初頭のイスラエル(ユダヤ人の国家)をみてよくわかる。

イスラエル建国と同時に勃発した第一次中東戦争からいま現在まで、イスラエルの地、パレスティナは血なまぐさいと土地であり続けているからだ。

憎悪と復讐。悪の連鎖は続く。

1948年5月14日 イスラエル建国

ことの起こりは1897年に遡る。スイスのバーゼルで第一回シオニスト会議が開催され、「イスラエルの地(パレスティナ)に、国際法で守られたユダヤ人のためのふるさとを作る」という目標が宣言された。

その後、第二次世界大戦のナチスホロコーストを経てユダヤ人国家建設の必要性を訴える声が高まった。ユダヤ人にとっては「祖国建設」という正義であったことが、他方アラブ諸国には「宣戦布告」と映る。

一枚の写真に写るのは、1948年2月2日、ハイファ近くのナハリヤの海岸に泳ぎ着いたユダヤ移民たちである。

イスラエル建国 座礁し、新天地に上陸するユダヤの民 「世界を変えた100日 写真がとらえた歴史の瞬間」(日経 ナショナルジオグラフィック社/刊)

この写真がなぜ撮られたか、背景を知ると複雑な気持ちになる。

「イスラエル建国神話」をイデオロギーないし心情面から支えるための演出だからだ。

写真右上に写る蒸気船ユナイテッド・ネーションズ号は意図的に座礁した。中央ヨーロッパから乗船した700人のユダヤ人を新たな祖国の地に上陸させるため。

それから3年の間に、イスラム諸国やヨーロッパ諸国からだけでも70万人がイスラエルに移住し、国家の人口は倍増したという。

正義というものは、依る立ち位置によって恣意的に解釈される。歴史を振り返ってみる限り、正義とは力だ。これは抗いようのない事実で、やはりどう考えても力の上に成り立っている。力のない正義なんていかようにも捻じ曲げられてしまう現実を嫌というほど知る。

自分が正義だと思っていたものが、他方に依って立つことで、いとも簡単に揺らぐことに衝撃を受ける。

「安倍構想」とか「集団的自衛権」について、よくわからない?教えてやるからちょっとこっち来い。

過去にこんな記事も書いたなぁ、と懐かしく思う。いまなら同じ内容でもうちょっとマシな記事を作れるだろうか。

1953年5月29日 エベレスト初登頂

なぜ山に登るのか? これに対して英国の登山家ジョージ・マロリーはこう答えた。

そこに山があるから。

1924年6月、エベレスト登頂に挑み、頂上付近で消息を絶ったチームがある。それは、「そこに山があるから」という言葉を残したマロリーのチームだった。

エベレスト初登頂 「世界を変えた100日 写真がとらえた歴史の瞬間」(日経 ナショナルジオグラフィック社/刊)

1953年3月、ネパールのカトマンズから出発したのは登山家ジョン・ハントと養蜂家のエドモンド・ヒラリー。初めて、「世界の屋根」の上に立ったのは彼らだった。

山についての過去記事こちら。

天空の世界を目指して世界遺産の富士山に登る。「自分で歩いたものにだけ見ることができる景色がある」というのは本当だった!!

1960年1月23日 地球最深部に到達

地球の最深部はグアム島の南西340km地点、北太平洋マリアナ海溝のチャレンジャー海淵だ。世界で初めてこの地球の裂け目から最深部に到達したのがスイスのエンジニア、ジャック・ピカールと米海軍ウォルシュ大尉である。

地球最深部に到達 マリアナ海溝チャレンジャー海淵 「世界を変えた100日 写真がとらえた歴史の瞬間」(日経 ナショナルジオグラフィック社/刊)

彼らが乗り込んだのが、深海潜水艇のトリエステ号。これは、ジャック・ピカールが彼の父と作り上げた船で、1957年に米海軍に売却したものだった。

その昔、「海底2万里」と2冊からなる「神秘の島」というフランスのSF作家ジュール・ヴェルヌの小説が大好きで、ノーチラス号の存在を信じて疑わなかった。そんな幼少期を過ごしたぼくにとって、地球最深部とか潜水艇なんて言葉は特別で、いまでもワクワクしてしまう。

1960年9月26日 大統領選、テレビへ

選挙戦で初めてテレビが利用された年が1960年だった。写真はニクソンとケネディのテレビ討論。

大統領選TVへ 「世界を変えた100日 写真がとらえた歴史の瞬間」(日経 ナショナルジオグラフィック社/刊)

二人の対決をテレビで視聴した国民は、その自信にあふれる立ち居振る舞いから、ケネディの勝利を確信する。 他方で旧来のメディア(ラジオ)視聴者は両者引き分けとみなした。

この反応の差は、新しいメディアの力の差。



1962年10月24日 キューバ危機

キューバ上空を飛行していたスパイ偵察機が数箇所のミサイル基地を発見する。さて。

戦略的空爆でミサイル基地を破壊するか、あるいは海上封鎖でキューバ(とその後ろにいるソ連)を交渉の場に引きずり出すか。

キューバ危機 核シェルターに非難する家族 「世界を変えた100日 写真がとらえた歴史の瞬間」(日経 ナショナルジオグラフィック社/刊)

採られた策は後者。ケネディ大統領は海上封鎖を(正確には隔離と表現、これは封鎖が戦争行為にあたるため)宣言する。基地を取り壊し、全核ミサイルを撤去するようソ連とキューバに求めたのだ。

これに対し、キューバの首相カストロとソ連のフルシチョフは「隔離」には従わないと表明する。これで、核の応酬がいつ始まってもおかしくない状況になった。

写真は、自宅の核シェルターに避難したカリフォルニアの一家。

1963年11月22日 ケネディが暗殺された日

35代合衆国大統領ジョン・F・ケネディは、1963年11月22日の午後、テキサス州ダラスのエルム通りをパレード中に狙撃され、命を落とした。

時、ほぼ同じくして元米海兵隊員のリー・ハーベイ・オズワルドはJ・Dティペット巡査射殺の容疑で逮捕される。取り調べ中にオズワルドは大統領暗殺の容疑で再逮捕。

2日後の移送の日、多数の報道陣が詰めかけ、TV中継されるなかで、アメリカ合衆国テキサス州ダラスの実業家でナイトクラブオーナーのジャック・ルビーによって、射殺される。

ケネディが暗殺された日 「世界を変えた100日 写真がとらえた歴史の瞬間」(日経 ナショナルジオグラフィック社/刊)

ジャック・ルビーのオズワルドに対する殺害動機は腑に落ちない。また、弾道学の専門家によるとオズワルドの狙撃の腕前にも疑問視する声があがる。

なにより、なぜジャック・ルビーはこうも簡単にオズワルドに近づくことができたのか。暗殺から3年の間に18人もの重要証人たちの死が相次いでいることをも付け加えておきたい。

40年以上経ったいまでもなお、真実は闇の中に。

1966年5月16日 文化大革命

中国共産党内の内乱。いうなれば驚異の粛清。毛沢東から勅命を受けた紅衛兵はそろいの帽子と上着、紅い腕章を身に付けた。これら革命を夢想する熱狂的な青年たちは学校や工場、役所などを襲撃した。

殴り、侮辱し、あるいは殺す。

文化大革命は市民レベルではなんと、子供が親を非難することまでもが奨励されていたという。

中国文化大革命の紅衛兵 「世界を変えた100日 写真がとらえた歴史の瞬間」(日経 ナショナルジオグラフィック社/刊)

何が、彼らをこのような行動に駆り立てるのか。当時の記録によると、それは体制だったという。若くて幼稚で狂信的だったとも。かくも人間同士の報復は救いようがない。

1969年7月20日 人類初の月面着陸

人類の夢。科学のひとつの到達点。1950年代には、宇宙開発競争のレース参加者は米国とソ連だけだった。宇宙に飛び出した初めての人間は「地球は青かった」という言葉を残したソ連のユーリー・ガガーリンである。1961年4月、ボストーク一号で初の有人宇宙飛行を成し遂げた。

アポロ11号月面着陸の写真 「世界を変えた100日 写真がとらえた歴史の瞬間」(日経 ナショナルジオグラフィック社/刊)

1969年7月20日午後4時17分42秒、米国アポロ11号に搭乗したニール・アームストロング船長、エドウィン・オルドリン、マイケル・コリンズの3名は月の”静かの海”に降り立つ。

人類初の月面着陸の瞬間だった。

1969年8月15日 ウッドストック開催

ウッドストック・フェスティバルとはニューヨーク州サリバン郡ベセル近くのマックス・ヤスガー農場、240ヘクタールの牧草地で3日間にわたり開催されたロックの祭典。

出演したバンドは数多く、ザ・フー、ジミー・ヘンドリックス、グレイトフル・デッドなどのそうそうたるバンドが名を連ねる。

ウッドストックフェスティバルで歓喜する女性の写真 「世界を変えた100日 写真がとらえた歴史の瞬間」(日経 ナショナルジオグラフィック社/刊)

45万人もの観客を動員し、フェスティバルは大成功する。ラブアンドピースで浮かれ、熱狂した3日間。夢の残骸もすごい。フェスティバルが終わり、残されたゴミを片付けるのに5日間かかった。

ともあれ、ロック時代の到来である。

最新の洋楽ヒット曲にこっそりメロコア(メロディック・ハードコア)を混ぜておすすめしてみる。

ここで、こっそり過去記事のPRもしておくよ。

1972年9月5日 オリンピック・テロ事件

Η σφαγή του Μονάχου - 1972

画像引用:Η σφαγή του Μονάχου – 1972

パレスティナのテロ組織「黒い九月(BSO)」のメンバー8人は1972年9月5日午前4時30分、ミュンヘンオリンピック選手村のイスラエル選手宿舎に侵入する。

犯行グループは即座に選手2人を射殺し、9人を人質にした。

ほどなくしてテロリストの要求は受け入れられ(たかのようにみえ)た。逃走用のジェット飛行機が用意され、そこにヘリで向かうメンバーたち。ようやく乗り込んだジェット機は無人であった。

騙された。

周りに配置された狙撃手がテロリスト2名をその場で射殺。残りのテロリストたちはヘリに走って戻り、立てこもる。その後、一人が手榴弾で自爆。巻き添えで人質も爆死。死者はイスラエル選手団11人とテロリスト5人を含む17人。最悪の結末。

生き残ったテロリスト3人はのちの、テロ事件で人質と交換に釈放される。

オリンピックテロ事件「黒い九月」のメンバー 「世界を変えた100日 写真がとらえた歴史の瞬間」(日経 ナショナルジオグラフィック社/刊)

これまで、争いといえば中東という限られた地域だったのが、これにより”どこにでも起きうる”ということを世界に認識させた。憎悪と復讐の連鎖は続いているのだ。

1975年4月30日 サイゴン陥落

あの日、私はこう思っていました。『もうどうでもいいわ。どうせここで死ぬことになるのだから」と・・・・・・。結局は、ヘリコプターで脱出しましたが、その最中に発砲されました』

米国防総省の職員で、「最後に脱出した女性」として知られるサリー・ビンヤードの言葉。

「世界を変えた100日 写真がとらえた歴史の瞬間」(日経 ナショナルジオグラフィック社/刊)より引用

米国はベトナム戦争で5万8000人を犠牲にし、1500億ドルの戦費をつぎ込んできた。それにもかかわらず、サイゴン陥落である。1975年4月29日、米大統領ジェラルド・フォードは南ベトナムに残る米国民に非難命令を出した。

圧倒的な数の北ベトナム軍が迫ってきていたからだ。

サイゴン陥落 ヘリコプターで脱出する在ベトナムアメリカ人たち 「世界を変えた100日 写真がとらえた歴史の瞬間」(日経 ナショナルジオグラフィック社/刊)

1954年から南北に分断され、続いていた戦争は、南側の惨敗で終わった。

1997年2月22日 クローン羊の誕生

写真はクローン羊のドリー。

ドリーは、フィン・ドーセット種の雌羊で、通常この種の寿命は10~12年。

クローン羊のドリー 「世界を変えた100日 写真がとらえた歴史の瞬間」(日経 ナショナルジオグラフィック社/刊)

しかし、ドリーの寿命は短かった。

2003年2月14日、関節炎で足が弱り、肺ガンにもかかっていた6歳のドリーは薬物注射で安楽死させられる。

2001年9月11日 米国同時多発テロ

2001年9月11日の現地時間午前8時19分、ロサンゼルス行きアメリカン航空11便がハイジャックされたと報告が入る。その18分後、ボストン発ロサンゼルス行きの別の旅客機、ユナイテッド航空175便もハイジャックされる。

この2機はハイジャック犯の操縦で、ニューヨークの世界貿易センタービルに向かっていた。

最初は午前8時46分、アメリカン航空11便が時速790キロでツインタワー北棟に、次いでユナイテッド航空175便が時速950キロで南棟に激突する。

世界同時多発テロ 世界貿易センタービル衝突の瞬間を撮った写真 「世界を変えた100日 写真がとらえた歴史の瞬間」(日経 ナショナルジオグラフィック社/刊)

2機目の衝突が中継されている最中、さらに2機がハイジャックされる。その2機とはアメリカン航空77便ユナイテッド航空93便である。

アメリカン航空77便は午前9時37分、国防総省(ペンタゴン)の西側部分に衝突し、乗員乗客全員と国防総省職員125人が死亡した。

ユナイテッド航空93便は10時03分、ピッツバーグ南東部に墜落。なんらかの手段で他のボーイング機の運命を知った乗員がハイジャック犯と格闘した末の墜落だったという。

2004年12月26日 スマトラ島沖地震

インドネシア、スマトラ島からアンダマン諸島を襲ったスマトラ島沖地震の正確な規模は科学者たちにもわかっていないという。震源地はスマトラ島西沖。

2004年12月26日、現地時間午前7時58分、プレート境界400キロにおよぶ”すべり”が発生。断層運動とプレートの沈み込みで大量の海水が移動し、津波が生じる。

津波の発生を知らせる前兆というものは、規模にかかわらずほとんど”ない”のだというが、この時も遠洋にあったときは海面上の小さな”うねり”に過ぎなかった。

スマトラ島沖地震 津波が迫る海岸から逃げ出す家族 「世界を変えた100日 写真がとらえた歴史の瞬間」(日経 ナショナルジオグラフィック社/刊)

写真はタイ南部クラビに近いライレイ・ビーチ。家族に津波を知らせる母親の姿ととらえている。

地震発生から最初の津波到達までわずか15分である。もし、自分だったら・・・逃げきれるか?

 あとがき

いかに知らないか、を知る。これが大切だ。

最初は薄っぺらい知識でもいい。とにかく存在を知り、興味を持ち、いったんは受け入れること。そこから改めて疑い、得られた情報を吟味して咀嚼する。

情報のリテラシーとはこうやって身に付けていくものだと思う。

神秘的な写真 「世界を変えた100日 写真がとらえた歴史の瞬間」(日経 ナショナルジオグラフィック社/刊)

初めてこの記事を読んだ方は、前半もあわせて読んでみてください。記事タイトルは「世界は明日変わるかもしれない。そう思わせる報道写真16選!!」です。

―関連リンク―

世界は明日変わるかもしれない。そう思わせる報道写真16選!!


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